量子情報通信

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[QIC012
量子力学の基礎]         2003/11/02:渚 博)

 量子通信の物理的基礎は量子力学にあり、量子通信を理解するには量子情報理論とともに量子力学の知識が必要となります。そこで、量子情報理論に係わる量子力学の基礎についてまとめました。

1 状態ベクトル

 ミクロな粒子の3次元空間での運動を表す波動関数ψは、座標ベクトルr=(x,y,z)と時間tの関数としてψ(r,t)と表されます。また、粒子の量子状態はとびとびの角運動量lスピン角運動量sを持つので、それらの量子数でも区別されます。波動関数ψは確率振幅とも呼ばれ、その絶対値の2乗は、全空間での積分が1に規格化されているとき、ある時間t、ある位置rにおける粒子の確率密度を与えます。

          (1)

 ここでψ*はψの複素共役です。また波動関数ψはベクトル空間でのケットベクトル

          (2)

という記号でも表されます。この記号はディラックにより考案されたもので状態ベクトルとも呼ばれます。これはn次元の複素数の列ベクトルとして次のようにも表すことができます。

          (3)

 a1,a2,…,anは座標ベクトルr、時間tやスピンsの関数ですが、量子情報理論ではスピンの自由度が最も重要になります。この記号を用いると、量子力学的な2つの状態ψ、φの重ね合わせの状態は、2つのケットベクトルの和として次のように表されます。

          (4)

 ここでc1とc2は複素数です。ケットベクトルに対して複素共役なベクトルがブラベクトルと呼ばれ、n次元の複素数の行ベクトルで表されます。

          (5)

 また、波動関数は次の規格化条件を満たしています。

          (6)

 n次元ベクトル空間での単位行列Iは、任意の完全系をなす基底ベクトルを用いて     

          (7)

 と表すことができ、状態

          (8)

と基底ベクトルの線形結合としても表されます。ここで規格化直交条件

          (9)

を満たしています。単位行列は行ベクトルと列ベクトルのテンソル積なので、n行n列の行列になります。

 観測にかかる様々な物理量は、座標rや運動量pの関数として表されます。このrpは、波動関数に作用する演算子と呼ばれます。任意の物理量Aの期待値または平均値は、Aを演算子と考えて次の形で表されます。

          (10)

 物理量Aの測定値は実数でなければならないから、古典力学ではA A *の条件が満たされています。この条件は、量子力学ではAの期待値<A >が実数であると表されます。2つの状態の間の行列要素に対しては、次式がA物理量である条件となります。

          (11)

 任意の演算子Aに対してエルミート共役の演算子Aは次式で定義され、AAは互いにエルミート共役であると言います。

          (12)

特にAAのときAエルミート演算子といい、その期待値が実数になるのは(12)式より明らかです。つまり、演算子として実数を拡張したのがエルミート演算子であり、複素共役に対応するのがエルミート共役です。量子力学では物理量はすべてエルミート演算子で表されます。

2 状態ベクトルの時間変化

 波動関数ψの時間変化を決定する運動方程式はシュレディンガー方程式と呼ばれ、次式で与えられます。

          (13)

 ここでハミルトニアンで、運動エネルギーとポテンシャルエネルギーの和で表され、プランク定数h (h=6.63×10-34J・s)からと定義されています。ハミルトニアンが時間に依存しない場合は、

          (14)

に注目すると、(13)式から微小な時間に対して、波動関数の時間変化は

          (15)

と表すことができます。ここで、波動関数の時間発展を表すオペレータ

          (16)

と定義すると、

          (17)

と求まり、ハミルトニアンはエルミート演算子でだからの1次のオーダーで

          (18)

となり、ユニタリー演算子です。時間変化をと書き換えて

          (19)

と表します。ここでは微小な時間変化です。時間発展の演算子により、波動関数ψをと時間発展させると

     

                              (20)

から

          (21)

と、は微小な時間発展の演算子の積として表されます。さらに

          (22)

から

          (23)

となり、の極限で

          (24)

と表されます。この両辺を積分すると

          (25)

が求められます。ここでの規格化条件を用いました。t1からt2への有限な時間変化もこのユニタリー演算子を用いて

          (26)

と表すことができます。

 ハミルトニアンが時間に依存しないとき、を時間に依存しない部分と時間に依存する部分の積で

          (27)

と表すと、(13)式から

          (28)

となります。(28)式をで割ると

          (29)

となり、時間に依存する部分と位置に依存する部分が分離できて、あらゆる時間と位置で両者が一致するのは(29)式が定数であるときのみです。この定数をとおくと、は積分できて

          (30)

と求めることができます。一方、位置に依存するに対しては

          (31)

となり、はハミルトニアン固有値であり、固有状態を表していることが分かります。シュレディンガー方程式(13)の解は、ハミルトニアンが時間に依存しないときは

          (32)

と、空間部分と時間部分に分離できます。

 一般にが空間の有限な領域に局在するとエネルギーとびとびの不連続な値を取り、無限の領域に広がると連続な値を取り得ます。時間に依存しないハミルトニアンの固有状態を、エネルギーを持つ定常状態と呼びます。

 このエネルギーはハミルトニアンの固有値であるから下限が存在します。エネルギー最小の状態を基底状態、その他を励起状態と呼び、エネルギーの低い方から第1励起、第2励起、・・・と呼ばれます。図1にエネルギー順位と波動関数の対応を示します。



     図1 エネルギー準位と波動関数

 原子や分子等の物理系が外から孤立していて、エネルギーの出し入れがない場合、系はエネルギーの一番低い基底状態にあります。外から光等のエネルギーを与えると、系はエネルギーを受け取って励起状態に移行し、再びエネルギーを放出して基底状態に戻ります。

 しかし、エネルギー準位間の遷移は、2に示すようにエネルギー保存則を満たすように起こるから、外からのエネルギーが2つのエネルギー準位間のエネルギー差に等しいときのみ起こり、また放出されるエネルギーもエネルギー準位間のエネルギー差に等しいという選択則を満たします。このエネルギーの選択側が量子ビットを作るのに重要な役割を持ちます。



     図2 エネルギー準位間の遷移

3 交換関係と不確定性関係

 量子力学では運動を記述する位置rと運動量pは波動関数に対する演算子です。運動量演算子は微分演算子により

     

と表されます。任意の2つの演算子に対して交換関係を

          (33)

と定義すると、rpに対しては

          (34)

の関係が成立します。(34)式の関係は不可換と呼ばれます。rpの他の交換関係等はすべて0となり、可換であると呼ばれます。

 2つの独立する演算子を考えます。演算子のすべての固有状態が、同時に演算子の固有状態になっているとき、演算子は可換であることを示してみます。状態の固有値をの固有値をとすると

          (35)

であり、に交換関係を作用させると

          (36)

となり、であることが分かります。つまり、の同時の固有値であればであり、逆にであればの同時の固有状態が存在します。

 のようなが不可換の場合はどうでしょうか。もし、ある状態の同時固有状態とするとからが導かれ、と矛盾します。つまり位置と運動量の同時の固有状態は存在せず、位置と運動量が同時に一定値となる状態は存在しません。

 これは、を決めればに大きなばらつき(不確定性)が生じ、を決めればが大きくばらつき、その値が広く分布することを示しています。この関係は位置と運動量の間の不確定性関係と呼ばれ、ハイゼンベルグにより提唱された量子力学の最も基本的な原理の1つです。

 不確定性関係は、ある演算子の平均値からのズレを示す標準偏差

          (37)

と定義すると、位置と運動量に対しては

          (38)

と表されます。この不確定性関係は量子力学の観測問題に深く関わりを持っています。(38)式はある測定により、位置を正確に決定しようとすると運動量に大きな揺らぎが発生し、運動量を正確に測定しようとすると位置に大きな揺らぎが生じるという関係を、定量的にプランク定数を用いて示しています。つまり、位置や運動量の1つを観測により決定しようとすると、その系が観測により乱されて一方の観測量が決まらなくなるということを示しています。

 プランク定数はというごく小さな値であることから分かるように、この不確定性関係はミクロな世界特有の性質です。この不確定性関係による観測の問題は、量子情報理論の本質的な機構に深く関わってきます。

4 スピンの量子状態

 電子、陽子、中性子等の粒子はスピンまたはスピン角運動量と呼ばれる量子数を持っています。このスピンは粒子の自転による角運動量とも考えられますが、電子はミクロの世界でもほとんど大きさのない質点と考えられるので自転しているとは考えにくく、スピンは粒子に固有の自由度を表す量子数と考えた方が自然です。

 ミクロの世界では軌道角運動量はとびとびの値を取り、プランク定数を単位としての値を取ります。一方、スピンは整数と半整数があり、電子、陽子、中性子等の物質の基本構成粒子はすべてを持ちます(これ以降を省略してとのみ表記)。一般に角運動量を持つ状態には、個の自由度があります。この自由度は方向への角運動量の射影で区別され、は1つずつ異なるとびとびの値

          (45)

のみ取ることができることに起因します。スピンの粒子を考えると、上向きと下向きのみでとなることから自由度は2となります。つまり、スピンの状態は2成分のベクトルで表すことができます。軸方向を向いている状態(スピン上向き)と逆方向を向いている状態(スピン下向き)を列ベクトル

          (46)

で表します。スピン粒子に対するスピン演算子

          (47)

2個の状態の間を変換させる演算子と考えられるから、2行2列の行列で表され

          (48)

と書くことができます。この行列はドイツの物理学者パウリにより考案されたので、パウリのスピン行列と呼ばれます。パウリのスピン行列は

  (49)

の性質を持ち、交換関係

          (50)

と反交換関係

          (51)

および

          (52)

の関係式を満たします。(50)式の交換関係は

          (53)

とも表されます。また、スピン上向き、下向きのケットベクトルが(46)式で表されるので、ケットベクトルとブラベクトルのテンソル積

     

          (54)

2行2列の行列で表されることから、(48)式のスピン演算子は、

          (55)

とケットベクトルとブラベクトルのテンソル積で書き下すこともできます。(47)式のスピン演算子sの大きさは

          (56)

から確かにであることが分かります。また、z方向の向きは

     

          (57)

となり、はz軸の正の方向、はz軸の負の方向を向いていることが示されます。一般のスピンベクトル

         (58)

と表され、この状態はスピン上向きの確率下向きの確率で見いだされます。

5 量子ビット

 古典的コンピュータでの情報の単位はビットと呼ばれ0または1で表されます。量子コンピュータでは、これに対応するのが量子ビットqubit)で2つの量子状態の線形結合で表されます。例えば、スピンの粒子を量子ビットとして用いる場合は、0と1を

          (59)

とスピン上向きと下向きの状態に割り当て、一般の量子ビットは

          (60)

と表されます。(60)式が1量子ビットの状態で、n量子ビットは(60)式のn個の直積で

          (61)

と書くことができます。

 量子ビットは光子の偏光を用いても表すことができ、縦偏光横偏光直線偏光状態

          (62)

0と1のビットに割り当てます。2つの直線偏光状態を重ね合わせた状態

          (63)

の係数aとbを適当に選ぶと、+45°と-45°の対角線方向に直線偏光した

     

          (64)

の光子状態や、右回り円偏光状態(時計回り)

          (65)

左回り円偏光状態(反時計回り)

          (66)

の光子状態を作ることができ、これらの状態を用いて量子ビットを表すこともできます。(65)、(66)式の円偏光状態は、光子の進行方向に角運動量が量子化されており、(65)式の右回り状態は角運動量の成分は-1(ヘリシティー、h=-1)、(66)式の左回り状態は角運動量の成分は+1(ヘリシティー、h=+1)を持ちます。

6 角運動量、スピンと回転

 波動関数ψ(x,y,z)を3次元空間で回転させることを考えます。波動関数の回転を考える場合、2つの方法があります。1つは座標軸を回転させる方法であり、もう1つは波動関数自体を回転させる方法です。ここでは、後者の波動関数を回転させる方法をとります。

 まず、3に示すようにxy平面にx軸と角度α0をなすベクトルr=(x,y,0)=(r cosα0,r sinα0,0)をx軸のまわりにαだけ回転させてみます。回転後のベクトルr’=



図3 位置ベクトルrの回転と波動関数ψ(r)の回転

     r’ (r cos(α+α0),r sin(α+α0),0)

       = (x cosα-y sinα,x sinα+y sinα,0)     (67)

から

          (68)

と求めることができます。z軸のまわりの角度αの回転をRz(α)と表すと

          (69)

となり、そのエルミート共役の演算子は

          (70)

となることから、

          (71)

となり、はユニタリー演算子であることが示されます。x軸、y軸のまわりの回転も同様に

          (72)

          (73)

と表されます。x軸のまわりのαx、y軸のまわりのαy、z軸のまわりのαzの回転を連続して行うには

          (74)

の回転演算子をベクトルrに作用させれば実行できます。

 波動関数ψ(r)の回転は座標の回転と明確に区別する必要があります。波動関数の回転をある演算子D(α)を用いて

          (75)

と表します。波動関数の内積はスカラー量でこの変換によって不変だから

          (75)

となり、

          (76)

が導かれ、回転の演算子D(α)はユニタリー演算子であることが分かります。波動関数をz軸のまわりにαだけ回転させると、波動関数全体がだけ回転します。これは回転前にの位置の波動関数がrの位置に移動することです。つまり、

          (77)

となります。座標軸の回転と波動関数の回転は、位置rに関しては反対方向の回転になることに注意する必要があります。すると(77)式から

          (78)

となり、を微小な回転としての一次の近似でをテイラー展開すると

     

            

                             (79)

が導かれます。ここではz方向の軌道角運動量演算子

          (80)

と表されます(ここではとした)。同様に、x,y方向の軌道角運動量演算子は

          (81)

          (82)

と表され、スピン演算子sに対する(53)式と同様な交換関係

          (83)

を満たします。

 (79)式から微小な回転の演算子は

          (84)

と求められることが分かります。有限な角度の回転は微小な回転の重ね合わせで得られるから

          (85)

が成り立ちます。(85)式に(84)式を適用すると

          (86)

より

          (87)

の微分方程式が得られます。この式を積分し、を用いると

          (88)

が求められます。この式は図3の3次元空間の単位ベクトルで示される任意の方向のまわりの角度αの回転にも拡張できて

          (89)

と表されます。回転に対してスピン角運動量も軌道角運動量と同じ性質を持つので、スピン波動関数に対するi軸方向のまわりの座標軸の回転の演算子

          (90)

となります。ここでスピン関数σiの偶奇性

          (91)

と指数関数の展開公式

          (92)

に注目すると、

          (93)

という関係が得られます。

[出典]

1.佐川、吉田:量子情報理論,シュプリンガー・フェアラーク東京(2003-6)

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