量子情報通信

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[QIC005:量子情報科学]         2003/08/01:渚 博)

 量子コンピュータ、量子通信、量子暗号等の技術を深く理解するには、それらの基盤である量子情報科学を基礎知識として習得する必要があります。量子情報科学は、物理科学と情報科学を融合して構成される新しい科学であり、その理解には両分野にわたる広い知識と土台となる数学の知識が求められます。

1.量子情報科学の歩み

.1 情報と物理の融合

(1)量子情報プロローグ

 1950年代後半は、情報科学統計力学の関係が活発に研究されました。それらは、主に“情報理論統計力学の解析手段として取り込もうとする研究”と、“情報理論の理論構成の中に物理学の原理を導入しようとする研究”です。

 
前者は情報理論を新たな数理的理論と認めて、物理学の進展に貢献させようとするものであり、後者は情報理論は物理学の原理に従うべきであると考えるものです。いずれにしても、情報と物理の関係が真剣に研究されだしたのは、シャノンの理論が公開されてまもなくのことです。

 確かに情報という概念を科学的に定義、あるいは定量化したとしても、それらを機械的に、あるいは工学として応用しようとすれば、情報と物理学の関係が必要になり得ます。しかし、情報を担う物理現象が巨視的であれば、情報はそれらの現象を支配する原理拘束を受けることはありません。

 もし、情報を担う物理的信号が微視的な現象であるとすれば、考察の対象になり得ることは明らかです。情報を科学的に取り扱うときそれらの処理効率は本質的な要素です。効率を改善するには微視的な世界の信号を用いる必要があります。

 そのとき、まず熱力学的な限界が現れます。ブリルアン、ランダウアの議論に見られるように、古典物理学と情報理論の関係の議論はほとんど熱力学第二法則との関係に集中しています。

 これはコンピュータや通信の熱力学的限界を明示したいとの要求に応えることと同じです。それによって、コンピュータや通信の能力は熱力学的な限界があることが理解されます。このように通信と計算の性能限界は物理学に関係します。

 計算に関する限界は発熱と熱雑音であり、通信の限界は熱雑音です。熱力学的限界を逃れるためには量子力学の世界に移行するしかありません。そこに量子情報科学の研究の本質的な動機があります。

(2)通信科学における量子現象の探求

 通信科学において、信頼性の高いシステムの実現化は最も関心のある問題です。どのように、そのような信頼性の高いシステムを設計するかは通信工学者の主要な仕事です。シャノンは、まさにあらゆる通信系において信頼性の高い通信を実現するための処方箋を明らかにしました。

 シャノンの理論は物理学と切り離されたものですが、それらの実現過程では当然物理学の制限を受けます。情報を伝送する媒体古典物理学に従うとすれば、信号は原理的に連続であり、またそれらを原理的に限りなく正確に観測することが許されます。従って、通信の限界は雑音の性質に強く依存します。

 英国のレーダー研究所とMITで行われたマイクロ波通信の研究では、あらゆる雑音現象が分析されました。その結果、通信の媒体が電磁波であれ、通常の電圧あるいは電流であれ、それらに対する基本的な雑音は熱雑音であることが認識されました。

 空間を伝搬する電磁波に対しては熱放射による熱雑音回路系ではナイキストの定理から導かれる熱雑音によって信号が擾乱されることになります。信号の強度が強い場合にはそれらはほとんど邪魔にはなりませんが、微弱信号や高速な信号処理においては極めて深刻な影響を与えます。

 そのような状況において、電磁波によって伝送し得る最大の情報量シャノンの通信路容量公式で規定されます。一方、レーザーの発明によって光を情報の媒体とするいわゆる光通信が可能となりました。

 1950年代の後半には技術的な問題は残されてはいましたが、光の領域で通信が可能であればマイクロ波領域の通信と何が違うのかが研究課題となりました。光領域では、熱放射はプランクの放射式に従います。その結果、自由空間に放射されている熱雑音としてのエネルギーは極めて小さくなることが分かります。

 もし回路系を低温にすれば限りなく雑音の効果は小さくなるであろうと考えられます。従って信号対雑音比を限りなく大きくできます。すなわちシャノンの公式に従えば、自由空間で伝送できる情報量は無限大となります。

 しかし、熱雑音を量子論で扱うのであれば信号もまた量子論的な考察が必要です。1962年にゴードンは、マイクロ波と同じ通信方式を用いる光通信による最大情報量は、シャノンの公式の雑音の項が次式のように信号自身が有する“量子雑音hνB )”に置き換わり、かつ有限であることを示しました。

     

             (1)

ここで、は受信信号の電力です。さらに光通信によって伝送できる最大情報量は単位周波数あたり

        (2)

であると推論しました。これは熱平衡状態の光波の光子数分布(ボース-アインシュタイン分布)のエントロピーに等しくなります。また式(2)は常に式(1)より大きくなります。

 しかしゴードン自身は量子雑音と式(2)の本来の意味を理解していませんでした。30数年後の1998年に、ホレボーによって上式が量子情報理論の観点からガウス通信路の真の通信路容量であることが証明されました。

 式(1)より伝送可能な情報量は、単位周波数あたりの平均光子数によって決まることが分かります。変調の帯域は最大にとっても搬送波の周波数(ν)までなので、仮にB =νとします。

 準光波に匹敵するような帯域幅を持ち、その電力が例えば-30dBmでも、まだ周波数あたりの光子数は現実的な値を持ちます。周波数あたりの平均光子数が有限であれば情報が伝送できることが保証されるので、変調帯域幅準光波の周波数まで広げても通信が可能であると推察できます。

 これが通信工学者が光通信の実現を目指す動機となりました。そのとき研究者が対処しなければならない基本的な雑音は量子雑音であることが分かるにつれ、光通信理論の研究が注目されるようになりました。

 しかしその体系化には量子雑音の深い理解が要求され、量子力学と情報理論の新たな協調が必要になりました。この量子雑音を詳細に理解することが量子情報科学を理解するための鍵になります。それは現代の情報科学の出発点が熱雑音の詳細な分析から始まったことと対応します。

 量子情報科学において最も基本的な量子雑音は、系が純粋状態にあるときでさえ測定値が一意に定まらないと言う現象に関係するものです。量子力学の世界では物理的な量を観測するとき、如何に精密な装置であっても避けられない不確定さが発生します。これは不確定性原理に由来するものです。

 そのような観測に現れる不規則性を数学的に表現したのがフォン・ノイマンの量子観測論です。量子力学では物理量はエルミート行列(あるいは自己共役作用素)で表され、物理的性質はその作用素が従う代数によって規定されます。

 さらに、その物理量の観測の結果はその物理量に付随する量子状態によって規定されます。すなわち、量子状態をもつ物理量Aを観測したとき、その観測の結果は次の確率に従います。

          (3)

ただし、A固有状態です。この確率は量子確率と呼ばれ、最も本質的な量子雑音のモデルです。このような確率によって、観測における測定値のばらつきが表現されます。従って、量子雑音は観測したい物理量とそれが持つ量子状態を決めればその性質が決まります。

 このように、量子力学古典物理学の根本的相違はゆらぎ現象の性質の本質的な違いです。しかし、1950年代の科学あるいは技術の多くの分野において、その本質的違いを明確に考慮した研究はそれほど多くはありません。なぜなら、そのような違いが問題になるような実験はごく限られたものであったからです。

 しかし、メーザー原理の発見に続くレーザーの発明によって、光学の分野において量子力学の原理を直接実験によって確認する技術が可能となりました。情報科学あるいは通信科学との接点となる光通信では、熱雑音が無視でき、量子雑音がそれにとってかわります。

 従って、物理学とともに工学の分野においても、不可避な量子雑音定性的あるいは定量的分析が必要となり、物理の分野から光の量子力学的ふるまいを詳細に分析するために、量子光学と呼ばれる理論の開発が必要となりました。

 1960年から1962年にかけて、グラウバーは光の最も基本的な量子状態はコヒーレント状態であり、代表的な光の量子状態はこの状態で表現できることを示しました。コヒーレント状態とは、光子がゼロのいわゆる真空状態をそのまま平均光子数のルート分(電界の振幅)だけシフトした状態です。

 この状態は最も量子ゆらぎのエネルギーが小さく、最も安定な状態でもあります。後に理想化したレーザー光源は、この状態で極めて良く近似できることが示されました。従って、光通信の理想化した量子モデルでは、コヒーレント状態送信量子状態として仮定されます。

 コヒーレント状態の理論はレーザー科学の発展とともに光と物質の相互作用、光検出における雑音解析に便利な理論的基礎をもたらしました。その結果、特に光通信ではレーザー光の検出過程で生じるショット雑音の物理的原因が明らかにされ、ゴードンの公式(1)に現れる量子雑音hνB )の意味が、量子測定過程におけるゆらぎに起因することが初めて証明されました。

 量子光学がもたらしたもう一つの成果は、直感的なあるいは巨視的な領域で量子現象を実験的に確認できる多数の例を明らかにしたことです。さらに、それまで光を古典的に扱っていた物性物理学に対し、光と物質双方が量子化されたときの物理の研究を促し、物性物理学に転機を与えました。

その発展は、量子通信量子コンピュータの実現化に本質的な貢献を与えるものと期待されています。

(3)計算科学における量子現象:原子レベルによる計算

 情報科学通信科学計算科学によって構成されます。計算科学における情報は通信科学と同様に0と1で表現されます。計算科学では0と1による情報処理過程の理論が根元的です。現在のトランジスターによるスイッチングにおけるエネルギー消費は、熱力学的にみて極めて大きく、理論的な考察は問題外です。

 スイッチングの速度エネルギー消費を改善するためには、トランジスターのサイズを極力あるいは限りなく小さくしなければなりません。近い将来そのサイズは分子や原子のレベルに到達するでしょう。そのとき、物理学の基本法則と計算という技術的な問題が、深い関係を持つであろうことは容易に推察できます。

 IBMのランダウアとベネットは、有限温度(室温)に置かれた現在多く用いられている計算回路(非可逆)が必要とする最小エネルギーを求める研究を推進しました。その結果、エネルギーの有無を識別するための最小エネルギーであるkTがその答えであることを示しました。

 ただし、温度が絶対0度でも無限小のエネルギーではなく、量子論の要請から最小エネルギーはとなることが示されました。従って、たとえスイッチング機能原子1個で構成可能になったとしても、既存の計算回路の概念ではエネルギーの散逸は避けられず、計算速度には現在の水準から十分予想できる程度の限界が存在することが分かります。

 このように現在、工学の世界で進められているトランジスターやスイッチング用デバイスのサイズ縮小の研究からは計算科学の新たな発展は望めません。このような限界を超えるためには、さらに情報と物理学の融合を研究しなければなりません。

 幸いにもベネット、ファインマン、ベニオフらによってそのような研究が実行され、可逆計算理論から量子コンピュータ原理が生まれました。量子コンピュータの構成原理は0と1の処理ではなく、量子状態そのものを計算過程に利用するため、新しい情報理論が必要になります。多くの量子情報の研究者が量子情報理論を研究しているのはこのためです。

.2 量子情報原理探求の礎

(1)概念の進歩

 量子現象と情報の概念を融合するためには、それを模索するための指導理論としての新たな情報理論を体系化しなければなりません。50年前に体系化された情報理論は、自然現象によって処理される信号や情報は、原理的には正確に測定あるいはモニター可能であることを前提として構築されています。

 そして雑音は原則的に外部からの擾乱です。そのような擾乱を取り除いた量子力学が適用されるミクロな世界では、新たに原理的にも信号自身が正確に測定できないことを織り込まなければなりません。すなわち信号系自身がゆらぎを内在しています。その根元は量子力学における観測の理論に現れます。

 従って、量子力学における観測という行為の過程を情報理論として如何に体系化するかが重要になります。量子系での情報の考察においては、“観測とは測定過程を通して物理系の状態を識別することである”と設定されています。物理系の状態は量子状態ベクトルで表現されるので結局、観測とは量子状態の識別を議論することになります。

 しかし識別という概念は、対峙するものが存在してそれらを選別する行為です。ここで識別はシャノンの定義した情報そのものです(1あるいは0)。従って情報の定量化はシャノンの情報概念が適用され、情報を担う信号系の測定過程に、新たに物理学的制限が加わるというモデルが設定されました。

 この場合、人間が量子状態を前もって準備できるということが許されなければなりません。量子力学では巨視的操作のもとで、ミクロな状態がどのような量子状態にあるかが予見できるとされるのでそれは可能です。量子状態を識別するための測定過程モデルシャノンの通信路モデルと等価です。

 すなわち人間は、先験的にどのような信号系が用意され、どのような通信路が設定されるかが分かっています。雑音もまた、先験的にどのような確率分布で信号系を擾乱するかが分かっています。

 一方、人間がどのような量子状態が用意されているか分からず、その量子自身を同定したいとする立場もあります。このときは識別ではなく一つの量子状態がいったい何なのか決定することになるので、必ずしもシャノンの情報の概念を持ち出す必要はありません。むしろ、それは統計学あるいはウィーナーの概念の範疇になります。

 さらに、量子状態のレベルで操作する技術の問題においては、全くこれまでに存在しなかった新しい“情報概念”を議論の対象にしなければならなくなりました。それはいわゆる“量子情報”と呼ばれるものです。

 一般に情報とは何かの測度でなければなりません。選択や識別に関する情報の測度はシャノンの情報ですが、量子系が潜在能力として持っている何かを定量化しようとすれば、シャノンの情報とは異なった測度が必要です。目的に合わせて、いくつかの新しい情報の測度が提案され、それらのためのエントロピー理論が開発されています。

 いずれにしても量子測定過程がこのような問題の本質です。以下に量子情報理論の構築に向けて量子測定過程に関する考察がどのように行われたかを示します。

(2)量子測定の最適化

 信号を運ぶ媒体に対する量子力学的効果あるいは現象の理論が開発され、実験的研究が精力的に行われました。それらの設計理論として、量子現象の効果半古典的あるいは発見的に導入する通信理論が開発されました。それはそれで大きな研究分野を形成していますが。そのような研究からは新しい情報パラダイムを発見することはできません。

 新しい概念を模索するためには、量子力学的効果が顕著になる状況の信号による情報処理、あるいは通信過程を統一的に解析するための厳密な数理体系を持つ量子情報理論の開発が必要です。その基本的理念は、量子力学の原理原則に従って、情報あるいは通信の問題を徹底的に分析することです。

 そのときは一旦具体的な現象の考察から離れて、抽象的な数理の世界において許され得るすべての可能性が探索されるべきです。すなわち存在定理の発見が重視され、その後、それらの実現理論が研究対象となります。このような研究姿勢は欧米の基礎研究のあり方を反映しています。

 量子情報理論を公式化するための指針は光通信をモデルにすることでした。ゴードンなどによる光通信の性能を決定する最終的な雑音は“量子測定過程におけるゆらぎ”であるとの発見は、情報伝送の究極的理論量子測定理論をその理論体系に内在すべきであるという考えを生み出しました。

 ヘルストロムは、1967年に情報が量子状態で運ばれるのであれば、量子状態を識別するための最適理論の公式化こそが通信理論の最終形態であると考えました。量子状態の識別という問題は通信の問題ではありますが、量子物理学全般においても重要な問題です。従って、彼の考えは量子物理学と通信とを対等に結びつける役割を果たしました。

 ヘルストロムは選択可能な二つの量子状態を量子測定によって識別するモデルを設定しました。すなわち量子測定過程は、フォンノイマンの射影命題に用いられたように量子状態から測定値へのジャンプと考えます。量子状態が物理量の固有値でない限り量子測定は不規則になります。ここで物理学において次の問題を考えることができます。

 問題:複数の量子状態を識別するための最適な量子測定過程を如何に求めるか

 たとえ測定値が不規則になろうとも、量子状態の決定誤りを最小にするように識別したいとすれば、当然、古典の通信理論でよく知られた信号検出理論が適用できそうです。ただし、測定過程が信号の物理量の固有値を観測(標準量子測定と呼ぶ)した後、データ処理して決定理論を適用することも可能です。その結果として得られる識別限界は標準量子限界と呼ばれます。

 しかし、ヘルストロムは、識別したい量子状態を直接決定値として射影することを許すことによって、誤りが標準の測定過程と古典の決定理論の合成で得られる標準量子限界より小さな誤りで、二つの量子状態を識別できることを示しました。その最適解はヘルストロム限界と呼ばれています。

 このように、量子状態の識別の最適理論が識別における平均誤り確率の最小化問題を解く通信理論として公式化されました。ここで二つの量子状態を識別するということは、二つのシンボル(0と1)を二つの量子状態によって伝送するモデルとも解釈できます。これが量子通信と呼ばれる新たな科学技術を誕生させたのです。

 1970年にユーエン、ケネディ、ラックスはたくさんの量子状態の識別を考えるにはヘルムストロムのモデルにおいて、測定を射影子で表すもっと一般化した厳密な数学で記述しなければならないことを示唆しました。それに答えて1973年にホレボーは正作用素測度:POVM(確率作用素測度とも呼ばれる)と呼ばれる数理を導入して、量子信号検出理論のための数学的基礎を確立しました。

 1976年にパリ第11大学における講義録を基に、ヘルストロムは彼の集大成である「量子検出・推定理論(Quantum detection and estimation theory)」を出版しました。この著作によって量子状態の識別問題の数理的基礎はほぼ完成されました。

 その後もヘルストロム、ホレボー、ユーエン、パーソニックによって様々な量子信号検出−推定法が公式化されました。最も代表的な公式化は量子ベイズ決定理論です。それは次のように述べられます。

 識別したい複数の任意の量子状態を用意し、それらの先験確率を既知とする。
 
決定に対する評価重み(コスト)を定義する。
 
先験確率によるコストの平均を最小にする決定法(決定作用素)を求める。
 
最適な決定作用素が満足すべき必要十分条件が存在する。

 ヘルストロム、ホレボー、ユーエンはその条件を証明しました。また先験確率が既知でない場合の決定法の条件はヘルストロム、広田−池原によって証明されています。広田−池原の結果(量子ミニマックス定理)は最適量子測定過程の解法に極めて役立つことが後に実証されています。このような基礎理論の成果として次のことが言えます。

 定理:非直交な量子状態を誤りなく識別することは不可能である。逆に、直交する量子状態は誤りなく識別できる。

 非直交な量子状態の例としては、レーザー光が持つコヒーレント状態、あるいは量子コンピュータなどに用いられる重ね合わせ状態などがあります。従って、非直交な状態は量子情報科学において不可避であることが分かります。上記のような理論は、そのような状況にある量子系の状態を認知するとき、誤差を最小にしながら識別する方法を解明します。

 このような理論の発展に対してさらに考察が加えられ、上記定理を補足する原理がいくつか証明されました。上のような限界は、そのシステムを大量にコピーできるとすれば克服できるのではないかという批判もあります。しかしユーエン、さらにウッタースとズーレックによって次の定理が証明されました。

 定理(量子no Cloning定理):直交しない量子状態をコピーする単一な物理過程は存在しない。

 しかし、準備されている量子状態がただ一つで、かつどのような状態かが観測者に分かっていれば任意の量子状態はコピーできます。二つ以上の任意の量子状態を一つのコピー過程でコピーすることができないのです。従って、非直交量子状態を大量コピーしてそれらの大量の観測結果によって識別を改善することはできません。

 また、この定理は観測者にとって未知なる量子状態に対して、その状態に擾乱を与えないでコピーするような装置が存在しないことを保証します。これは量子暗号の安全性を保証するときの基礎となります。

 抽象的な決定作用素で記述されている量子測定過程と現実の物理現象との対応については、ケネディ−、ドリナーらのMITグループによってコヒーレント状態の識別に関するヘルストロム限界を実現する量子測定過程のモデルが発見されました。その後1997年、佐々木・広田によって次の定理が証明されました。

 定理:任意の量子状態のヘルストロム限界は、信号量子状態に対するユニタリー変換と標準量子測定過程(信号物理量の理想的な測定)の     組によって実現可能である。

 これによって、量子状態識別の最適理論は一貫性を持つことになりました。このような理論は量子情報理論や量子情報処理の開発において必要不可欠となっています。最近では実験的検証が可能になり、佐々木の理論予測の検証実験がバーネットのグループと水野によって行われています。

(3)量子状態の制御

 量子情報科学の発達に伴い、量子状態を直接制御することによって情報を効率よく伝送あるいは処理する問題が主題となったため、1970年頃から色々な量子系の量子状態の特徴が的確に分析され、その応用法の開発が行われました。その結果、量子状態を自在に生成、あるいは制御しようという考え方がユーエンによって提唱されました。

 量子物性論においても量子状態の制御という考えはありますが、それは情報科学とは無縁な問題における概念でした。情報の媒体としての量子状態を制御するには、情報理論と一体化して考察されなければならないことから新しい概念が生み出されました。

 すなわち、ある拘束条件の下で、ある評価関数を最適化するための量子状態制御です。これは量子情報科学の基礎概念の一つとなるものです。どのように量子状態を制御すべきかは通信理論あるいは情報理論によって決められます。

 量子状態の制御に関する現在よく知られた実施法はスクィズド(squeezed)状態の生成です。これはハイゼンベルグの不確定性原理から導かれる不確定性関係が制御可能であるとの認識が発端となって発見されました。

 情報科学的にスクィズド状態の生成とそれの制御のための理論研究が、ユーエンとシャピローによって行われました。一般に光波は次の式で表すことができます。

     

                      (4)

 ユーエンは光波の直交振幅XcXsの不確定性関係のバランスを制御する目的でその一般論を開発しました。現在、光通信に広く用いられているレーザー光は理想的にはコヒーレント状態:を持ち、その直交振幅に対する不確定性は

          (5)

             (6)

であり、制御できません。一方、ユーエンが示した最初のスクィズド状態は、その不確定性関係を満足しながら

          (7)

制御可能な量子状態です。このような現象自身は光パラメトリク増幅過程において発生することが高橋によって指摘されていました。また、不確定性のバランスの変化を生じる量子状態は、ストーラーによって与えられていました。しかし拘束条件が明記されないときの、そのような制御はいくらでも発見可能です。

 ユーエンの貢献は複素振幅成分の制御を基礎とした量子通信理論の構築の一環として自然に導入されたものであり、全エネルギー一定条件下で、その状態が信号対量子雑音比SNR )を以下のように改善できることを証明したことにあります。

     , 対      (8)

 ここで(n )は信号の平均光子数です。前者はコヒーレント状態、後者はスクィズド状態信号対量子雑音比です。彼の理論は物理科学全体に影響を与えました。しかし最初の段階でほとんどの物理学者は標準量子限界(SNR = 4(n ))を超えた測定は不可能であると主張し、スクィズド現象が観測可能であることを受け入れませんでした。

 しかしユーエン、シャピロー、チャンは、光バランスド・ホモダイン受信過程によって、標準量子限界以下に量子雑音が圧縮された状態での信号を測定することが可能であることを証明しました。それ以来、スクィズド状態の生成過程に関する物理現象や実験の研究が開始され、テキサス大学、ベル研究所で相次いでスクィズド状態の生成が実験的に実証されました。

 日本では広田−池原がユーエンと同時期にスクィズド状態の情報理論的特性を考察し、さらに熱的スクィズド状態の定義を与え、その光子統計の際だった特性を明らかにしました。最近それが量子情報理論において、最も一般的な量子ガウス状態を表すことから情報理論の発展に役立っています。

 さらにスクィズド状態の生成過程には、二つの過程が存在することがイギリスの研究グループよって指摘されました。すなわち、

 (a) コヒーレント状態を直接スクィズドする。

 (b) 真空状態を最初にスクィズドしてからコヒーレント振幅を注入する。

 前者はスケーリング・スクィズド状態、後者はコヒーレント・スクィズド状態と呼ばれます。1にスクィズド状態の種類を示します。



     図1 スクィズド状態の種類

 広田らは両者が情報理論的には異なる意味を持つことを明らかにしました。すなわち、情報伝送過程におけるコヒーレント・スクィズド状態の生成は非ユニタリー過程となります。これを物理学的な言葉に翻訳すれば以下の定理になります。

 定理:二つ以上の異なったコヒーレント振幅を持つコヒーレント・スクィズド状態を生成するユニタリー過程は存在しない。もし存在すればそれは     条件付きアイソメトリック過程となる。

 最近の量子情報の発展によって、スクィズド状態を量子情報処理に応用することが現実となっており、その意味が再認識されつつあります。

 さらにコヒーレント状態の光子数ゆらぎポアソン分布に従うので、光子数と位相に関するスクィズド現象を考えることができます。このための研究課題は光子数・位相最小不確定状態の導出で、その極限は光子数確定状態です。

 光子数確定状態の生成に向けての最初の研究は1980年頃よりロチェスター大学、コロンビア大学で始められました。これらの研究は準ポアソン光を生成し、その極限として光子数確定状態を達成しようとするものです。

 一方、1984年日本ではハウスと共同で、NTTグループが準ポアソン光の生成法の研究を開始しました。NTTグループは半導体レーザーの出力光を量子非破壊観測し、その結果をレーザーに負帰還をかける方式を提案しています。

しかしこれらの方式は限界があり、光子数確定状態の達成は困難ですが、これに代わって光マイクロ共振器内の原子の自然放出現象を制御して、光子数確定の光を放射させる方法が山本によって研究され、引き続き山西らによって精力的に研究されています。

(4)量子非破壊測定

 量子非破壊測定の基本概念は、ソビエトの物理学者ブラジンスキーによって提案されました。そもそも非破壊測定とは、被測定物に擾乱を極力与えないで目的とする情報を抽出する技術です。あえて量子と冠する場合、若干ニュアンスが異なります。

 物理学における各分野によってこの量子非破壊という現象をどう解釈するかは違っていますが、物理量を観測するときに、その物理量の量子状態の変化の様子を人間が自由に制御する技術と言った方が直感的でしょう。量子力学の原理的なところで以後必要となるものを補足すると次のようになります。

 二つの物理量が可換であれば互いに独立に観測することができる。
 
非可換であれば一方の測定は他方に影響(反作用)を与える。

 観測したい物理量をAS(信号)とします。量子系は必ず非可換な物理量を共有しています。例えば、光であればエネルギーと位相、粒子であれば運動量と位置です。従って、系の物理量は[AS,BS]≠0となる非可換な物理量AS,BSで構成されます。

 これに物理量AA、BAを持つ別の量子系(補助系とも呼ばれる)を相互作用させて、その補助系の物理量AA観測することによって信号系の物理量の大きさなどの情報を得るものとします。このとき相互作用は相互作用ハミルトニアンHIによって表されます。ここで次の定理があります。

 定理:上記相互作用を用いて信号系の物理量を観測するためには、相互作用ハミルトニアンHIAsの関数でなければならない。また、相互      作用ハミルトニアンとAAの交換関係は[HI,AA]≠0でなければならない。

 もしAsと相互作用ハミルトニアンが非可換であればAAをを測定した瞬間、As反作用が起こります。次にどのような方法であろうと、Asがある精度で測定されればその共役な物理量である,BSに反作用が起こります。そのままで系が時間発展するとき、その反作用はAsの運動に影響を与えるでしょう。

 量子非破棄測定の最も本質的な概念は、このような量子反作用を受けない観測系を構成することにあります。量子反作用を受けないための条件は、

 第一の反作用に対しては[HI,AS]=0である。
 
第二の反作用に対しては[A(0)S,A(t)S]=0、t≠0である。

 自由粒子においては第二反作用が避けられないように見えますが、ユーエンと小沢はそれらの量子測定限界を克服する方法を発見しました。

 光子数を信号とする場合に対する量子非破壊測定の例が井元によって示され、量子非破壊測定の実現問題が重要な課題として認知されました。また、ベル研のユルケは、光の複素振幅成分を信号とする場合に関する量子非破壊測定の実現法として、量子無反作用Back Action Evading:BAE)増幅器を提案しました。

 BAE増幅器の概念図を図2に示します。は信号のは補助モードの光の入・出力における光子消滅作用素で、光の複素振幅を表します。



  図2 量子無反作用増幅の概念

 すなわち、aXCiXSbYCiYS です。XYは複素振幅成分を表す作用素です。図2のボックス内が量子無反作用増幅であるとき、入出力のXYの間の関係がそれぞれ

      ,       (9)

      ,        (10)

となります(Gは利得)。この場合、光の二つの成分の一つであるのみを信号とすれば、この増幅器の出力にはとして現れ、全く擾乱なしで通過していきます(非破壊)。また同じ信号はの中に増幅されて現れます。従って、を観測することによってを知ることができます。このBAE増幅器はパラメトリック過程や4波混合過程で実際に構成可能です。

 量子非破壊測定は、量子コンピュータや量子暗号の構成において基本的な操作となるので、その物理現象の十分な理解が不可欠です。

 一方、このような測定過程の一般理論はオペレーション理論によって記述できます。これらはベラフキンによって量子フィルター理論へと発展させられています。ベラフキン理論は量子非破壊測定のみならず量子系のデコヒーレンスに関する一般論ですが、その数学の難解性のため物理学においてあまり認知されていません。

.3 シャノン情報の量子情報理論

(1)基本モデルとその理論

 情報の媒体は量子力学的現象であるが、運ばれる情報はシャノンの情報(すなわち通常のビット情報)とする通信系の理論は、シャノン情報の量子情報理論あるいは量子シャノン理論と呼ばれます。このときシャノンが設定したように、通信系の設計者は送信から受信まですべての過程を管理下に置きます。

 情報は量子状態に写像されますが、どのような量子状態を用いるかは前もって設計者は既知です。受信者にとって、どの量子状態が伝送されたのかという選択の問題が中心となります。しかし量子力学系では、古典物理学に従う通信系では存在しなかった信号の測定に対する原理的な量子現象があるため、通信路を考察するとき測定過程を常にモデルの中に取り入れなければなりません。

 そこで、それらを情報理論として解析するためには3に示すような通信路モデルが設定されます。すなわち、情報が量子状態に写像される過程をシャノン情報の量子符号化、同定された量子状態を伝送する通信路を量子状態通信路と言います。もし、送信量子状態と受信量子状態に一対一の関係があれば、この通信路は無雑音通信路となります。



図3 量子測定過程の通信路

 次に、受信された量子状態を識別する過程が必要です。このとき、それらは量子測定過程となります。この量子測定過程には量子力学における最も基本的な観測操作による不可避な不確定性が現れます。その不確定性を雑音としてモデル化すれば、それは通信路モデルとすることができます。

 すなわち、量子状態の識別には不可避な誤りが発生し、その判定に対する最適問題が発生します。このようなモデル化は1967年にヘルストロムによって提案されました。これまで最も本質的な量子測定過程のみが通信路として考察され、量子状態通信路は無雑音と仮定されています。

 まず、量子測定過程の通信路モデルである量子測定通信路に対する情報伝送過程の理論から説明します。伝送される情報はシャノン情報であるアルファベットの集合で、それらの完全情報源は以下のように記述されます。

          (11)

 は各々アルファベット、先験確率です。これらは量子状態の集合, i=1,2,・・・,M に写像されます。このとき情報源は

          (12)

この量子情報の特徴を表現するために、以下のようなこのセットに対する統計作用素を定義します。すなわち、それは

          (13)

と記述されます。これが送信者によって準備される量子情報源です。量子測定通信路はシャノン情報を担う量子状態からアルファベットに復号する過程に対応します。しばしばこの系は量子・古典系と呼ばれます。さらに一般的に、量子アルファベット自身が混合状態の場合{ρi }、量子情報源は

          (14)

この量子情報源の統計作用素表現は

                (15)

以上のような情報源に対して、量子測定通信路は次のような通信路行列で記述されます。

          (16)

ワルドの決定関数の量子版である決定作用素であり、数学的には正作用素値測度(POVM)に等価です。この過程が従来の情報理論では扱うことのないものです。この過程を考察することは“量子力学の原理により信号は原理的に正確に測定できない”という要請を、情報理論の公式化にセットしなければならないことへの対処に相当します。

 従って、測定過程は雑音のある通信路として常に考慮されなければなりません(信号量子状態が直交状態の時のみ雑音のない通信路となります)。このとき測定過程は受信者に属するので、どのような測定を実施するかの自由度が存在し、そこに最適問題が生じます。これがヘルストロム、ホレボー、ユーエンが新しい情報理論の問題として強調しようとした側面です。

 以下に、このようなモデルに対する情報理論を簡単に説明します。上記のような情報源が固定されたとき、量子測定過程を通して得られる最大情報量アクセシブル情報量accessible information)と言います。その最適な測定過程を表す最適決定作用素が満たすべき条件がホレボーによって導出されています。

 また信号としての量子状態の数が与えられたとき、それらを判定するための決定作用素の数にも最適値が存在することがデービスによって示され、次の定理が証明されました。

 定理:量子状態の集合のヒルベルト空間の次元がdであるとき、アクセシブル情報量を与える決定作用素の数N

     d N d 2     (17)

 この結果に続いて佐々木・バーネット・ジョザ・大崎・広田は次の定理を証明しました。

 定理:状態が実ベクトルであればアクセシブル情報量を与える決定作用素の数N

          (18)

 2000年の量子通信国際会議において、ショアは3個の実量子状態ベクトルが情報源として用意されたとき、その情報源からのアクセシブル情報量を与える決定作用素の数は上の定理で予言される範囲の6であることを証明しました。

 以上の諸問題において最も重要な定理は次の“ホレボー限界”の定理です。

 定理:アクセシブル情報量には次のような上界がある。

          (19)

   ただし、(フォンノイマンエントロピー)で、そしてρiはアルファベットの量子状態である。ρiが純粋状態であれば右辺の第2項目はゼロである。H はホレボー関数と呼ばれる。

 これに続いて上記定理の無限次元への拡張がユーエン−小沢によって行われました。

 次に通信路容量の問題を考えます。量子測定通信路の通信路容量アクセシブル情報量をさらに先験確率によって最適化したものです。

          (20)

 単位はビット/シンボルです。このような通信系において、従来の情報理論のように情報源をn次拡大することが可能です。すなわち符号化です。このとき拡大によって、次のような関係が存在することがストラトノビッチとホレボーによって予言されました。

             (21)

 この結果は、全く独立な量子状態によって構成される符号語において、各スロット間には記憶がないのに、符号長を長くすることによって情報量が増加する可能性があることを示唆します。このような性質は“超加法性”と呼ばれます。これは従来の情報通信モデルにおいては存在しない量子特有の性質です。

 1995年、ハウスラーデン、ジョザ、シュマッハー、ウエストモーランド、ウッタースは符号長を無限大にしたとき、信号量子状態が純粋状態であれば次の定理が成立することを証明しました。

 定理:有限な数の純粋状態アルファベットに対する量子測定通信路のゼロ誤り通信容量は

     

                   (22)

 1996年に日本で開催された量子通信国際会議でジョザがこの成果を紹介し、それを受けてホレボーは玉川大学滞在中に、上の結果を信号が混合状態を含む一般的な場合に対する通信路符号化定理に拡張しました。続いて1997年、シュマッハーとウエストモーランドは同じ結論を導き、1997年にPhysical Review Aに掲載されました。それらの結果は以下のようになります。

 定理:一般的量子状態に対する量子通信路のゼロ誤り通信路容量は

          (23)

 Hはホレボー関数です。これはホレボー、シュマッハー、ウエストモーランド定理と呼ばれています。このように量子測定通信路の通信路容量フォンノイマンエントロピーというシャノンとは異なったエントロピー関数によって与えられます。しかしあくまでも情報はシャノン情報であり、単位はビット/シンボルです。

 一方、連続アルファベットに関しては、最初にホレボー限界がユーエンと小沢によって一般化され、直ちにホレボーはそれを超えて最も一般的なアルファベットに対する通信路符号化定理を証明しました。

 定理:連続量子測定通信路のゼロ誤り通信路容量は

          (24)

 さらに帯域制限及び無制限における通信路容量の公式がホレボーによって示されました。このようにシャノン情報に関する量子情報理論の骨格はホレボーによって確立されたといえます。

 以上のように、量子通信路の通信容量はホレボー関数の最大化問題に帰着します。ホレボー関数は通信路の入力で準備される量子状態の集合によって定義される統計作用素のみの関数です。

          (25)

 ここで ただしはアルファベットに対応しています。従って次のようにまとめることができます。

 定理:量子測定通信路の通信容量は量子情報源を指定すれば、その構造のみで決まる。

 これらは情報理論の基本的な構造に関する結果です。さらに理論の内容をもっと豊富にすることが必要です。上に示したような存在定理群の発見を有効に応用するための基礎理論が、日本の研究者によって次々と解明されました。

(2)量子状態通信路を含む一般的な通信路の問題

 信号量子状態の基本的特性が伝送の途中で変換されるような場合、通信系は量子状態通信路量子測定通信路によって記述されます。量子状態通信路は数学的には量子状態から量子状態への写像ε(・)(完全正写像:CP map)です。

 一般に、この過程はエネルギー減衰増幅過程、さらに量子コンピュータにおける量子状態処理過程などに対応します。以下に通信路モデルの概要を示します。

 量子状態通信路の定義:送信量子状態→受信量子状態、すなわち

     

 量子測定通信路はです。

 前項までの理論は、上記のモデルにおいて量子状態伝送路が理想系であるときに対応します。そのときの通信路容量はホレボー限界の先験確率による最大化の結果となります。次に多くの研究者は以下のような問題を考察し始めました。

 「量子状態が変化する通信路の通信路容量を求めることができるであろうか?」この問題を考える上で量子状態伝送路の二通りの物理的特性を考慮しなければなりません。

 (a) 送信側と受信側の間には古典的な相関のみが許される。
 
(b) 送信側と受信側の間には量子的な相関が存在する。

 前者は送信量子状態が量子系を含む擾乱過程の中を自由に伝搬することに対応します。すなわち、単に外部からの雑音が加法的に加わる過程や、外部系とエンタングルしながら伝搬する過程などです。この場合、通信路は古典的な条件付き確率で記述されます。このとき、通信路容量の本質的な問題は結局ホレボー、シュマッハー、ウエストモーランドの定理に帰着します。

 しかし、この場合でも量子状態通信路が固定されたとき、全通信系の情報伝送問題において送信量子状態と量子測定過程の最適化問題を設定することができます。このような問題は極めて重要であり、通信路容量がの関数として求まれば究極的な理論となります。その通信路容量はホレボー通信路容量と呼ばれます。しかし、現在その解法は明らかではありません。

 光通信系での量子状態通信路の最も重要な過程はエネルギー減衰過程です。この場合、問題は極めて単純になることが知られています。以下にこの場合の特徴を説明します。まず次の定理に注目しましょう。

 定理:減衰過程において、入力がコヒーレント状態のときのみ、その純粋状態が保存される。,κは減衰率である。

 この結果から、減衰過程の入力がコヒーレント状態であれば出力量子状態はまた純粋状態としてのコヒーレント状態となります。従ってエネルギーは減少しますが量子状態通信路は無雑音です。さらに、外部から熱光雑音が加わったとしても量子状態通信路としてのアルファベット間の関係は不変となります。

 従って量子状態通信路は特別な意味を持ちません。基本的な問題は量子測定通信路の入力が混合状態と見なすことができます。

          (26)

このように、全通信系の最適問題は混合状態入力の量子測定通信路の問題に帰着します。他のいかなる量子状態も減衰によって純粋性が破壊され、コヒーレント状態信号以上の情報を伝送することはできません。従って、最終的には次の定理が成立します。

 定理:光減衰過程の究極的な通信路容量は量子ガウス減衰通信路のそれであり、減衰過程の出力光子数の関数となる。

 幸いにも、増幅過程においても全く同じ結果が得られます。そのときは入力光子数の関数となります。

 次に新たな問題として以下のような疑問が生じました。量子状態通信路の入力と出力に対して量子相関を持つ、あるいはエンタングルメントしている場合、全通信系の通信路容量はどのように考えられるのか?この問題を解くには新しいエントロピーの定義を含む数理的な準備が必要です。以下にその概要を説明します。

 送信路の量子状態をとします。このときの情報源はこれらの集合に対する先験確率を用いて次の統計作用素で記述されます。

          (27)

このような状態の集合が物理系を伝搬するとすれば、通信路は以下のようなオペレーションです。

          (28)

ここで、入力の量子情報源に対して参照空間を用意して、二つの空間による拡大空間で入力情報源である統計作用素の純粋化を行います。すなわち

          (29)

 このとき通信路はεであるから、参照空間を含めた全体の通信路をで表します。すなわち信号空間の成分通信路によって影響を受け、参照空間の成分影響されません(恒等作用素)。従って出力の状態は

          (30)

 このようなモデルにおいて、三つの量子エントロピーを導入します。すなわち、

          (31)

            (32)

   

                (33)

 これらを用いて、アダミとサーフは次のようなエントロピー関数を定義しました。

           (34)

 最初、これの意味は不明でしたが、この関数の入力情報源を表す統計作用素に関する最大化は

                  (35)

 すなわち、入力と出力にエンタングルメントをあらかじめ持っている量子状態通信路と、量子測定通信路の総合過程のシャノン情報の通信路容量であることがベネット−ショアによって証明されました。これは一般に入出力がエンタングルメントを共有しないときの通信路容量より常に大きくなります。このように定義された通信路容量はエンタングルメント援助によるシャノン情報の通信路容量と呼ばれます。

(3)量子符号理論への道

 現在までの量子情報理論の研究で得られた最も重要な成果は、量子測定通信路に対する通信路符号化定理の証明です。それらは信号量子状態によって張られるヒルベルト空間の典型的部分空間上で、ランダム符号化と量子測定の性質を巧みに利用して証明されました。

 次の課題は符号化の基本理論の構築です。まだ具体的な符号化の理論は存在しません。ここでは基礎理論の開発に向けての基本的な概念を示します。

 最初に量子特有の効果が現れる復号過程を説明します。これまで述べてきたように、量子測定通信路は情報モデルとしては復号過程と見なせます。具体的な符号化の理論を目指すには、復号を実施するための量子測定にはどのような構造が選択肢として取り得るのか理解する必要があります。

 もう一度モデルを再確認します。シャノン情報を担うアルファベットが量子状態に写像されます。アルファベットの一つ一つが純粋状態に写像されれば純粋状態量子情報源となり、混合状態に写像されれば一般量子情報源となります。ここで量子状態をどのように配置するかは、アルファベットで構成される符号と一対一対応となります。

 量子状態の列によって符号語が表され、それを量子測定によって元のアルファベットの符号語に再生します。例えば次のようになります。

 量子測定

 これは個別測定と呼ばれます。しかし前項の通信路容量の理論において、情報が一般に長さnの符号語として伝送、すなわちn次拡大された場合に顕著な量子効果が現れることを強調しました。そのとき量子復号過程には一括復号と呼ばれれる符号語である量子状態列を一括して測定する機構が仮定されています。このような過程は次のようにモデル化できます。{Ai}を入力符号語とします。

 

量子一括測定

 図4にこれらの概念を示します。量子状態の列として構成された符号語を復号するための量子測定は二種類あり、一つは個別測定、他は一括測定であり、詳しい定義は以下のようになります。



    図4 個別測定と一括測定

 個別測定:符号語の各ビットに対応する量子状態を個別に測定しながら、その符号語を復号する過程を個別測定に基づく復号と呼ぶ。

 各スロットの量子状態は独立であり、各スロットの通信路も独立となります。このときは従来の記憶のない通信路と同じように扱うことができます。

 一括測定(エンタングルメント測定とも呼ばれる):符号語を表す量子状態の列を拡張ヒルベルト空間における一つの量子状態として扱い、その拡張空間の量子状態の識別として符号語を復号する過程を一括測定に基づく復号と呼ぶ。

 上記のような復号過程を想定したときの符号語の構成について述べます。一般に古典論における通信路符号化誤り訂正符号論と呼ばれます。すなわち受信した符号語から、どこが誤っているかを検出して訂正する機能を設計する理論です。誤り訂正の機能は代数系などを利用して構成します。

 このためには当然、各ビットを個別に測定して受信した符号語の構造を認識しなければなりません。しかし、一括測定によって符号を復号するとすれば、各ビットを個別に測定しないので誤りのシンドロームなどを構成できません。すなわち誤り訂正機構は本質的に意味がないことになります。

 例えば、ブロック全体が一つのベクトルに対応し、それらが符号語であり、そのベクトル間の識別が復号となっています。従って、誤りパターンは符号語から別の符号語への誤りのみとなります。このような通信系の構成が、本当に通信能力の向上につながるのかという疑問に対して、量子信頼性関数の理論がその疑問を解消します。

 もちろん答えは“可能”です。しかし残念ながら、どのように符号語を構成すれば超加法性や誤りの極めて小さい通信系が得られるのか分かっていません。

 次に、量子測定過程を表す決定作用素の最適化が重要な課題となります。一般に量子信号検出理論から直接的に具体的な決定作用素を求めるのは困難ですが、ホレボーらによって、信号の量子状態が与えられたときその状態の集合から決定作用素を構成できることが示されました。それはsquare root測定と呼ばれ、次のように定義されます。

            (36)

 ただしはグラム作用素です。これらは必ずしも最適ではありませんが、アルファベットの量子状態が対称な構造を持つときそれは最適になることが黒川により指摘され、番によって一般的に証明されています。さらに、最も有意義な次のような結果が臼田によって証明されています。

 定理:古典の線形符号系によって選定された符号語を基に構成された量子符号語群に対する最適復号はsquare root測定(一括)で構成で     きる。

 このようにsquare root測定は、符号語の復号を表すのに極めて便利です。まとめれば、符号語の各ビットの個別測定の場合には、信号量子状態をアルファベットの状態として上式に代入すればよいし、また、一括して復号する場合への対応は符号語を表す拡大空間上の量子状態を一つの量子状態として、その集合に対し上式を適用すればよいのです。

.4 量子信頼性関数の理論

 通信路符号化定理は通信路容量以下の伝送速度では、誤りをゼロにする伝送ができる符号系の存在を保証します。しかし、それをどのように構成すべきかは全く指示しません。そこでシャノンの後継者であるガラガーは有限長の符号語の平均誤り確率に対する上界と下界に関する理論を構築しました。

 それによって、有限長の符号を設計するときにその最適性の目安が与えられました。古典通信系における信頼性関数の自然な一般化として、ブナシェフとホレボーがガラガーの概念を踏襲して、量子測定通信路に対する信頼性関数の理論を公式化しました。以下にその基礎的な概念を示します。

 一般に信頼性関数EQ(R )は以下のように定義されます。

          (37)

 ここで、Pen次拡大情報源の平均誤り確率です。すると、次の不等式が成り立ちます。

            (38)

 これから具体的に信頼性関数を計算するのは古典論でも困難です。古典系でも量子系でも信頼性関数は上の式で定義されます。量子系での雑音はこの場合、量子測定過程で発生する量子雑音です。それは当然測定過程に依存します。従って、前述の二つの形式の復号を考えて量子系の信頼性関数の理論が公式化されます。(詳細については数理学的過ぎるため省略します。)

.5 量子情報の量子情報理論

 選択や識別という概念を基に量子状態を処理するときには、扱う情報はすべてシャノンの情報です。しかし、量子コンピュータなどでは量子状態の複雑性などを評価する必要が生じます。すなわち、量子コンピュータは量子状態による“情報処理”機械であるので、そこでの量子状態みに関する“情報”の概念、すなわち測度を導入するのは便利なことが多いのです。以下に種々の量子情報の定量化について述べます。

(1)量子情報の定義

 量子状態を処理する問題において、客観的かつ合理的にその量子状態に関する性質を定量化できないでしょうか。その量は情報処理の基準となるべきものであるので、情報という言葉が望ましいのです。観測者にとってその量子状態に関する知識が全くない場合、この物理系の量子状態は無限の可能性を持ちます。すなわち、この量子状態を同定するためには無限の情報が必要となります。

 しかし量子状態は測定しなければ量子状態の形態のまま制御可能であり、そのような処理系を考えることが可能です。このような無限の量子状態を含んだ空間あるいは系を情報ユニットとして考察しようとするアイデアが現れました。以下にその基本概念を示します。

 物理系が持つ量子状態はヒルベルト空間の要素です。シャノンの形式を借りれば、量子状態を“情報”という概念で表現しようとするなら、その系を表すヒルベルト空間は情報源であり、量子状態はアルファベットです。最も単純なヒルベルト空間はスピン系などを表す2次元ヒルベルト空間です。

 しかし、たとえ2次元ヒルベルト空間2であっても、その要素は重ね合わせの原理より

          (58)

 ただし、α、βは の複素数ですから無限の要素を持ちます。

 ここでヒルベルト空間とその要素に対して、その系を表すヒルベルト空間を“量子情報素源”、その空間に含まれる量子状態を“量子元”と呼びます。量子情報素源から確率的に任意の量子元を選んで定義される情報源を“量子情報源”と定義します。すなわち

          (59)

この量子情報源の統計作用素表現は

                (60)

これはシャノン情報の量子情報源と全く同じものに見えますが、この系の情報測度は以下のように定義されます。

 定義:量子情報源が持つ量子情報量を次の式で定義し、その単位を量子ビット(qubit/state)とする。

                (61)

 すべての量子状態が互いに直交するなら、これは数値的にシャロンエントロピーと等しくなります。

     IQ H (X )               (62)

 しかし両者の概念とその意味は全く異なります。上記のフォンノイマンエントロピーで定義される情報の測度

 「定義された量子情報源を記述するために必要な“次元(dimension)”である」

 例として、2次元空間から直交基底が確率1/2で用意されれば、それは1[qubit/state]です。このとき1量子ビットは2次元ヒルベルト空間の次元に対応します。非直交性が強ければ量子ビットは小さく、直交の時最大となります。従って量子ビットは量子情報源の元の直交度の情報でもあります。このように、量子ビットは準備された量子状態間の非直交性という量子的性質を空間の次元で評価しています。

 この新しい情報の深い意味を理解するには、シャノンの理論と同様に量子情報源符号化を理解しなければなりません。従って、以下に述べる理論の説明は量子情報を理解する上で必要不可欠です。

 まず、シャノンの情報理論における主要な緒定理の中でシャノンの第一定理、いわゆる情報源符号化定理は情報源を符号化するときに、その符号化の効率の限界を明らかにし、かつシャノン情報の意味を規定するものです。この定理は、データ圧縮の手法として情報源において最も頻繁に発生するものには短い表現を、あまり頻繁でないものには長い表現を用いることを示唆しています。

 その結果、情報源のアルファベットを2元系列で符号化するときには、それらの先験確率に基づいて出現する情報源のアルファベットが持つ平均エントロピーより小さくすることができないとされ、さらに符号の長さを固定した符号語による符号化においても、その限界特性が情報源のエントロピーによって与えられることが示されました。すなわち、シャノンの最も重要な主張は次のようになります。

 意義:エントロピーは観測者に対する不確定さの意味で情報量を表すが、むしろ情報を担う符号の長さを測るものである。すなわち情報とは符号長である。

 全く新しい情報の概念を導入するときには、単に測度を定義するだけではなく、シャノンのこの哲学を踏襲すべきでしょう。事実、量子情報処理の問題において情報を定義する時このような概念が受け継がれました。以下にシュマッハーの基本的概念を示します。

 まず量子情報源Qを考えます。量子情報源とは量子系を記述しているヒルベルト空間の要素から選ばれた量子状態の集合です。その量子力学的特性は、その集合に対する統計作用素によって完全に記述されます。もちろん二つの異なった情報源が同じ統計要素を持てば、その情報源は同一と見なせます。ここで以下のような問題を考えます。

 問題:N次元ヒルベルト空間Nから量子情報源として選ばれた量子状態の特徴を失わないで、それらをそれより低次元ヒルベルト空間において表現できるか。できるとすればその量子状態を表現するためのヒルベルト空間の最小次元はいくらか。

 1995年にシュマッハーはこの問いに対する答えを与えました。その結果、次のような定理が証明されました(ここでは簡略的に示します)。

 定理:N次元ヒルベルト空間から構成される量子情報源を用意する。そのn次拡大情報源である長さnの量子状態系列の集合の統計作用素の次元はであるが、nが十分大きいとき、それは次元で近似的に表現できる。

 これは次のような意味です。N次元の独立なN個の量子状態によるn次拡大の量子状態の列の総数はであり、その統計作用素はとなります。このとき、その統計作用素の固有値は個あります。それらの固有値は典型的系列を構成するので個のみが意味があります。

 従って、次元で表現できます(このような典型的系列を構成している固有値に対応する、固有ベクトルの集合によって構成される空間を典型的部分空間と呼びます)。

 ここで具体的には次のような長さnのブロック、あるいはn次拡大の線形独立な量子状態系列です。

          (63)

 ただし、量子元は、

                   (64)

全系の次元は、典型的部分空間の次元はです。ここで次元のベクトルの最初の個の成分に対して、“通常の変換(ゼロでない)”、残りの個の成分をゼロにするようなユニタリー作用素Uを考え、それをに作用させます。ユニタリー変換は量子状態系列の集合の基本的な性質を変えないので、この段階では元の量子状態系列と等価です。次に変換された量子状態の成分がゼロである部分を切り取ります(discard)。このとき切り取られた状態はもはや純粋状態では表せないので(ユニタリー変換によってエンタングルメントが発生)、それをと表します。

 最初の状態ベクトルとの違いを評価するために、忠実度を以下のように定義します。

                 (65)

従って、平均忠実度は

             (66)

 ここでは系列の先験確率です。n次拡大の場合をとします。このような設定のもとでシュマッハーは次の定理を示しました。

 定理:(a) 十分大きなnにおいて、レートがR=(ST)+ε)を持つ符号化(直交基底状態のブロック列)を用いれば、長さnの量子状態系列を平均忠実度で符号化/復号化できる。

 (b) 十分大きなnにおいて、レートがR=(ST)−ε)を持つ符号化を用いれば、平均忠実度はとなる。

 ここで上記は存在定理であって、具体的にどのような構成法がよいかは別問題です(符号長(次元)が基準より少しでも大きければ忠実度が1になることを保証する)。以上のように、シャノンの固定長情報源符号化定理と同様な形式で量子情報源符号化定理が与えられました。

 以上の議論をまとめれば、量子情報の直感的な説明は以下のようになります。

 意味:量子情報とは量子情報源として集められた量子状態の“量子度”(quantumness)あるいは“直交性”を空間の次元を基準に表したもの。数値が小さいほど量子度が強い。

 意義:量子状態を量子状態として伝送する場合、量子情報源の量子度が強い。すなわち量子情報が小さいときには、少ない労力でその情報源の量子状態を伝送、再現できる。

(2)シャノン情報と量子情報の対比

 前述のように量子情報ユニットは無限の量子状態を持ちます。すべての量子状態にシャノン情報を写像することは可能ですが、ホレボー限界の定理によってその情報源から抽出できる情報量には上限があります。

 再度、例を示します。2次元ヒルベルト空間の量子状態は以下のように表現されます。

                (67)

 ここでは複素数で です。ここでシャノン情報をこの複素数に写像するとします。ホレボーの定理より、この情報源から抽出可能な情報量(アクセシブル情報量)は

       [bit]     (68)

ここで統計作用素の行列表現は形式的に次のように書けます。

                     (69)

この統計作用素の固有値は二つしかありません。それをη1、η2とすればホレボー限界は

               (70)

ここで各固有値が1/2であればそのときアクセシブル情報量の最大値は1です。すなわちこの情報源が持つ、あるいは抽出可能な最大シャノン情報は1ビットです。このように2次元ヒルベルト空間の量子状態が伝送できる最大情報量は1ビットです。さらに一般的に言えば、

 定理:N次元の量子状態は最大log Nビットのシャノン情報を伝送あるいは蓄積可能である。

 一方、量子情報の場合、2次元ヒルベルト空間から多数の量子状態を選択して量子情報源を用意するとします。最も一般的に表現すれば、その統計作用素の行列表現はやはり

      

量子情報は

        [qubit]     (72)

 ここで形式はホレボーの定理と同じです。しかし、全く違う意味を持っていることに注意しなければなりません。前者は無限の情報アルファベットが存在しても、最大1ビットしか取り出せないことを表します。後者は何次元で情報源の量子状態を記述可能かを示すものであり、もしそれが1であれば、それらは圧縮表現ができないことを意味します。

 以上から対比として次のように書けます。

 (a) シャノン情報はアルファベットの物理的属性には無関係であり、アルファベットの確率構造のみによって定義される。従って任意の物理系によって伝送できる。

 (b) 量子情報は量子状態ベクトルをより低次元で近似表現するとき、その次元の下限を評価する概念である。

(3)量子情報の通信路容量

 量子情報の定義に基づいて、それらを伝送するための通信路及びその通信路容量を考察することができます。シュマッハーのグループは、量子状態通信路(オペレーション:ε)を通して伝送される量子情報の公式化を試みました。このようなモデルにおいて、前述のような三つの量子エントロピーが導入されました

          (73)

            (74)

   

                   (75)

 シュマッハーはこれらを用いて

       (76)

を定義しました。これが量子状態通信路の量子情報に対する相互情報量の役割を果たすことが期待されました。これはコヒーレント情報量と呼ばれています。しかし、この測度は情報という概念を扱うには良い性質を持っていません。以下にホレボーのコメントを参考のために紹介します。

 (1) 一般にこの測度は負になり得る。

 (2) この最大化問題を扱うのが困難である。

 (3) 拡大空間の導入によって超加法性が現れる。

 しかし、会えてこれを用いれば以下のような量子通信路容量の上界を定義することができます。

                 (77)

しかし右辺を具体的に計算するのは容易ではありません。この問題はさらなる数理的研究が必要であり、興味深いものです。

(4)エンタングルメント情報

 ベルの不等式による複合系の性質に関する評価は、相関の大きさに基づいて量子性の判定ができますが、それでは十分ではありません(統計作用素の可分性)。量子相関の大きさよりは何か別の測度が導入できないのでしょうか。

 IBMのベネットの研究グループは、エンタングルメントの大きさを直接測る測度としてエンタングルメントのエントロピーを提案しました。スピン1/2の粒子AとBの複合系の量子状態が

          (78)

であると仮定します。ただしβは複素数、 は直交ベクトルです。特に

             (79)

はシングレットと呼ばれます。ここで の統計作用素を

                      (80)

とすれば、この式の部分トレースは

     ,                (81)

 と  は相互作用後の各部分系を単独に扱うときの各々の系の統計作用素です。複合系で純粋状態であっても、部分トレースした後の各系の状態は混合状態になります。従って、その統計作用素のフォンノイマンエントロピーはゼロではありません。これが量子力学の際だった特徴の一つです。

 定義:次のエントロピーをエンタングルメント情報と呼び、単位をebitとする。

     

                       (82)

 これは部分系における状態が、どの程度の混合状態になっているかでエンタングルメントの大きさを測るものです。各部分系の量子状態が直交状態であるとします。それらの間のエンタングルメントの最も代表的なものが、次のベル状態です。ここでは記号を簡単にするため とします。

              (83)

これらの四つに状態のエンタングルメント情報は、最大エンタングルメントである1ebitを持ちます。加えて、この四つの状態は互いに直交しています。

            (84)

 もし各部分系の状態がコヒーレント状態のような非直交状態であれば、それらはどのような性質を持つかという素朴な疑問に対して、広田・佐々木は非直交状態によるベル状態を以下のように定義し、“疑似ベル状態”と命名するとともに、これらの中で二つの状態は最大エンタングルメント1ebitを持つことを発見しました。ここで疑似ベル状態は以下のように定義されます。

            (85)

:規格化定数、≠0、ここで は基礎状態が非直交にもかかわらず、最大エンタングルメントの1ebitを持ちます。

 上記で定義されたが情報処理の問題に対してどのような役割を果たすかは本質的な問題です。もし、情報処理に対して何の関係もないのであれば定義する意味がないからです。これに対して、ベネットらは上のように定義されたエントロピーの値は以下のような情報処理の漸近特性としての意味を持つことを証明しました。

 (a) Entanglement of Formation:n個の不完全なエンタングルメントの純粋状態が与えられたとき、それをローカル操作とアリスとボブの古典通信によって構成するために、最初に準備すべきシングレット状態の数

 (b) Distillable entanglement:純粋状態をn個用意したとき、それらからローカル操作と両者の古典通信によって抽出可能なシングレットの状態の数k

 両方の場合において次のような関係が成立することがベネットらによって証明されています。

          (86)

(5)混合状態のエンタングルメント

 複合系が混合状態にあるとき、それはどのような特性を持つのか興味ある問題です。まだ統一的な理論は完成していませんが、混合状態にあってもエンタングルメントが存在することがワーナーによって明らかにされました。

 また、そのエンタングルメントの定量化がベネットらによって議論されました。それは次のように定義されます。二つの系の混合状態を表す統計作用素をρABとします。これは次のように表現可能です。

          (87)

 ここで当然、上の統計作用素を表現するのセットが多数存在します。このときエンタングルメント情報を

          (88)

で定義します。しかし一般にこれを求めるのは困難です。スピン1/2系の一般的な混合状態の場合、便利な下限を求めることができます。ここで次の量(fully entangled fraction)を定義します。

             (89)

 ここでは最大エンタングルメントを持つ状態(シングレットなど)です。最大化はに対して行います。このとき、エンタングルメント情報(エントロピー)の下限が存在して、それは

               (90)

 ここで

           (91)

はシャノンエントロピーです。もし系がベル状態の場合、すなわちワーナー状態

        (92)

であればの固有値の最大値に等しくなります。ここでです。このときfully entangled fractionはFであり、エンタングルメント情報は

          (93)

 次に上の議論の一般化として疑似ベル状態の混合状態を以下のように定義することができます。

        (94)

 これは疑似ワーナー状態と呼ばれます。このfully entangled fractionは

          (95)

となりワーナー状態と一致します。これは偶然です。疑似ワーナー状態とワーナー状態の固有値は全く異なります。それらはそれぞれF,(1/3)(1-F),(1/3)(1+D)(1-F),(1/3)(1-D)(1-F)です。以上より、疑似ワーナー状態のエンタングルメント情報の下限はワーナー状態のそれと等しいことになります。

[出典]

1.広田:量子情報科学の基礎、森北出版(2003-4)

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