量子情報通信

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[QIC002:量子情報通信の特異性]         (2003/06/03:渚 博)

 量子力学と情報理論が結びついた量子情報通信は、従来の古典情報通信の概念とは本質的に異なる面があり、直感的な理解を困難にする要因になっています。その中でも、「重ね合わせの原理」、「エンタングルメント」および「量子テレポーテーション」は、量子情報通信の特異性をよく表している概念と言えます。

1.重ね合わせの原理

 1個の光子は波長伝搬方向の他に偏光という属性を持っています。図1(a)に示すように偏光メガネ(偏光板)を通ってきた光子は縦に偏光(電場が縦に振動)しており、図1(b)のように90度回転した偏光メガネ(偏光板)を通ってきた光子は横偏光です。

(a)偏光メガネを通ってきた縦偏光の光子
(b)横偏光
(c)45度偏光の光子を強引に縦横偏光で測り「縦」と測定された場合

     図1 光子の偏光

 今、図1(c)のように45度回転した偏光メガネ(偏光板)を通ってきた光子が与えられたとします。この光子の偏光は当然45度ですが、これについて強引に縦か横かを測定することが可能です。例えば、水平に置かれた2個目の偏光メガネ(偏光板)に通し、通ってくれば縦偏光であるし、通ってこなければ横偏光です。

 この場合、光子の偏光方向は縦か横か初めから決まっていたわけではなく、あくまで45度だったものが測定により縦または横に変化させられたのです。この変化は何か物理法則によって因果的に記述できず、縦になるか横になるか予測できません。量子力学ではこのことを「波動関数の収縮」「波束の収縮」「状態ベクトルの射影」「量子ジャンプ」「ノイマンの射影」などと呼び、それぞれの状態にジャンプする確率が計算できるだけです。

 量子非破壊測定(測定後に光子が残存)を行って「縦」という結果を得た場合、光子の新しい状態はもちろん「縦」です。しかし、測定が行われたことは知っているが結果は知らされていない人にとっては、「縦か横か決まっているが確率半々でどちらかを特定できない状態」という古典的状態です。このような状態を混合状態と呼びます。これに対して偏光方向が縦、横、45度などに決まっている状態純粋状態と呼びます。

 ここで重要なのは、対象系の状態がそれを記述する人が得ている情報によって異なるという点です。45度偏光の光子を準備した人にとっては45度偏光の純粋状態であり、縦横観測をした後は縦か横の純粋状態であり、縦横観測が行われたことだけを知っている人にとっては縦と横の混合状態です。同様に円偏光観測をした人にとっては右回りか左回りの純粋状態であり、円偏光観測が行われたことだけを知っている人にとっては右回りと左回りの混合状態です。

 以上のことを数式で記述すると次のようになります。ある光子の横偏光状態および縦偏光状態をそれぞれ| x ñおよび| y ñというベクトル表示で表すと、+45度偏光、−45度偏光、右回り円偏光、左回り円偏光の光子はそれぞれ

|+45 ñ = ( | x ñ| y ñ )/√2  ,  |−45 ñ = ( | x ñ| y ñ )/√2        (1)

    | 右 ñ = ( | xñ i | y ñ )/√2  ,   | 左 ñ = ( | x ñi | y ñ )/√2     (2)

と表されます。 | x ñ列ベクトルを意味する書き方(ケットベクトル記号)ですが、これに対応する行ベクトルの書き方(ブラベクトル記号)は á x | であり、内積 á x | y ñのように表します。ブラとケット(つまりブラケット)のベクトル記号Diracの表記と呼ばれます。

 純粋状態はベクトル表示で事足りますが、混合状態にも対応するために密度行列表示が用いられます。これによれば横偏光状態の密度行列は| x ñ á x |で、「横か縦か確率1/2の混合状態」は

   ( | x ñ á x | + | y ñ á y | )/ 2      (3)

と表されます。+45度の純粋状態は 

  |+45 ñ á45 | = { ( | x ñ| y ñ )/√2 }{ ( | x ñ | y ñ )/√2 }

   = ( | x ñ á x |+| y ñ á y |+| x ñ á y |+| y ñ á x | )/ 2                (4)

となります。式(3)(4)より、純粋状態と混合状態の差非対角項 | x ñ á y |+| y ñ á x | の有無であることが分かります。これは、観測によって純粋状態の密度行列が対角化され、混合状態の密度行列になることを意味します。

2.エンタングルメント

 エンタングルメント(entanglement)は量子相関(quantum correlation)、絡み合いもつれ合いとも呼ばれる量子力学上の概念です。量子相関と古典相関を対比すると次のようになります。

 図2に古典相関の例を示します。何組かの夫婦の夫と妻が月と火星のどちらかを訪問するとして、訪問してきたのが男か女かを月にいる観測者と火星にいる観測者が記録していった場合、それぞれは不規則なデータとなるが、後で照合すると当然ながら完全な逆相関が見られます。これは古典的相関です。

男か女かは初めから決まっていた。

   図2 古典的相関

 もちろんこれを利用して通信を行うことはできません。月で「男」と観測されれば確かに「火星に行ったのは女だ」と瞬時に分かるのですが、これは元々決まっていたことを今知ったというだけのことであり、月の観測者が何かを制御してその影響を火星に伝えることはできないからです。

 図3に量子相関の例を示します。量子力学によれば次のような双子の光子(光子対)が存在します。光子Aと光子B直線偏光を測った場合、Aがx(横)ならBは必ずy(縦)であり、逆にAがy(縦)ならBは必ずx(横)です。さらに、同じ光子対の円偏光を測った場合、Aが右ならBは必ず左であり、Aが左ならBは必ず右になります。

直線偏光か円偏光かその都度選択される測定に関し反相関。
あらかじめ偏光が決まっていたのではない。

   図3 量子相関(絡み合い)

 不確定性原理によれば、1個しかない光子直線偏光と円偏光を同時に特定することはできないので、光子対のそれぞれの偏光は元々決まっていたのではなく、「直線偏光を測るとその逆相関が現れ、円偏光を測ると今度はそれの逆相関現れる」状態であるという以外にありません。

 これを式で書くと   

   { | x ñ A| y ñ B − | y ñ A| x ñ B }/√2

   ={ |+45 ñ A|−45 ñ B − |−45 ñ A|+45 ñ B }/√2

    ={ | 右 ñ A| 左 ñ B − | 左 ñ A| 右 ñ B }/√2       (5)

となります。これは式(1)および(2)から容易に確認できます。このような光子対を使うと、観測者には自由意志を行使する余地が生まれます。すなわち、縦横直線偏光を観測するか、斜め直線偏光を観測するか、円偏光を観測するかです。

 例えば、月で縦横を観測すれば火星の光子を縦か横のどちらかの状態に規定してしまうし、斜めを観測すれば±45度のどちらかに規定してしまうし、円偏光を観測すれば右か左のどちらかに規定してしまいます。従って、月で何を観測するかという選択行為が、火星の光子の状態を瞬時に制約してしまいます。

 アインシュタイン、ポドルスキー、ローゼンの3人はこの点を指摘し、遠方にあるものの量子状態を遠隔操作で瞬時に規定するのは、「何ものも光速を超えることはできない」とする相対性理論に反するので、量子力学に不備があるのではないか、と疑義を呈したのです。これをかれらの頭文字をとってEPRパラドクスと言います。

 現在、このパラドクスは次のように解消されます。月での選択行為は確かに火星の光子の状態を瞬時に規定しますが、それは月の観測者にとってのことであり、火星の観測者がそれを知ることはできないのです。なぜなら、不確定性原理により円偏光と直線偏光の測定は両立できないので、どちらかを一回測定するしかなく、この場合1個の光子が円偏光か直線偏光のどちらに規定されたのかを単独で見分ける方法はないのです。

 「手持ちの光子の偏光月の観測者によって規定された」ことを知るには、月の観測者から「円偏光を測定しなさい。そうすれば右回りという結果を得るであろう」といった測定の選択についての指示情報が伝達され、それに基づいて測定した結果が指示情報と一致することを確認する必要があります。当然この月からの指示情報は光速を超えて届くことはありません

 このようにして量子力学と相対性理論は両立します。言い換えると、あらゆるものに相対性理論を適用したいとするアインシュタインの希望は制限を受け、「実際に与えうる影響」つまり「情報」のみに適用範囲は制限されるのです。すなわち「情報速度は光速を超えない」というのが正しいのです。

3.量子テレポーテーション

3.1 量子テレポーテーションとは

 量子テレポーテーションとは、情報の送り手(Aliceと呼ぶ)が、遠隔地にいる情報の受け手(Bobと呼ぶ)に、量子状態(波動関数)を伝送する方法のことです。送られる量子状態は、Aliceの所で行われる「エンタングルメント測定」(ベル測定)により消滅(崩壊)し、遠隔地で再生される様から「テレポーテーション」と名付けられました。

 このような摩訶不思議な現象には、AliceとBobがあらかじめ共有している量子相関のある光に秘密があります。この相関には「非局所性」というものがあり、量子力学が誕生して間もない頃には「気味の悪い(spooky)遠隔作用」として、EPRパラドックスと呼ばれていましたが、現在ではもはやパラドックスではなくなり、EPR相関と呼ばれています。

 また、このような量子相関のある状態をEPR状態あるいはEPRペアなどと呼ぶこともあります。EPR相関は2量子間のエンタングルメントの例です。

 量子テレポーテーションのアイデア自体は、1993年IBMのBennettらにより提案され、翌年Vaidmanによってその拡張版である量子状態(波動関数)のテレポーテーションが示されました。これらの論文ではAliceとBobの間で最もエンタングルした状態を共有しています。

 しかし、波動関数のテレポーテーションを行うため最もエンタングルした状態を作るには、無限のエネルギーを必要とするので実際的ではありませんでした。後に、完全にはエンタングルしていない光の状態を用いても、量子テレポーテーションが可能であることが示され、実験の可能性が高まりました。

 1998年、カリフォルニア工科大学Kimbleグループの古澤らによって、世界で初めて量子テレポーテーション実験が行われました。

3.2 量子テレポーテーションの概念

 図4に量子テレポーテーションの概念を示します。量子テレポーテーションで用いるエンタングルメントは、式(6)に示す2量子ビットの最大エンタングル状態(EPRペアベル状態とも呼ばれる)です。

   ñ AB| Φ+ ñ( | 00ñ| 11ñ )/√2       (6)

量子通信経路として、場所AとBにある量子ビットの最大エンタングル状態ñ ABを用いる。手順は次の通りである。
[1]場所Aにある入力量子ビットの状態| f ñ Aが、入力量子ビットと入力ポート量子ビット間のベル合同測定(Bell M.)で
量子通信経路に入力される。
[2]“tel”で表される古典的通信経路を通じて、ベル合同測定の結果を場所Bに伝える。
[3]ベル合同測定の結果により、対応するURで表される復元演算を場所Bにある出力ポート量子ビットに施す。
すると、場所Bの出力ポート量子ビットの状態はñBとなります。


   図4 量子テレポーテーションの概念図

   この最大エンタングル状態 |ξñ AB 量子情報をAからBへ送るための「量子通信経路」となります。ñ AB を構成する2つの量子ビットの内、一方が量子情報の入力ポートとなる「入力ポート量子ビット」、もう一方が出力ポートとなる「出力ポート量子ビット」になります。

 量子テレポーテーションでは、式(7)に示す未知の量子ビットの状態で表される量子情報

   ñ=α| 0ñ +β| 1ñ       (7)

    ここで、α2+β21

をAからBへ送信します。これは、場所Aにある| f ñ Aという量子ビット(入力量子ビット)の状態を、Aとは離れた場所Bにある別の量子ビット状態ñB再現することを意味します。量子ビットそのものを送るわけではなく、その(未知)量子情報のみを送ることになります。未知量子状態を未知のまま送信する、という点がポイントです。

 入力量子ビット、入力ポート量子ビットと出力ポート量子ビットを合わせた3量子ビットの状態は、式(8)に示すように場所Aにある量子ビットと場所Bにある量子ビットに分解して表すことができます。  

   | f ñ A Ä | x ñ AB

      (1/4)| F+ ñ A Ä (a| 0ñb|1ñ ) B(1/4)| F- ñ A Ä (a| 0ñb|1ñ ) B

    +(1/4)| Y+ ñ A Ä (a|1ñb| 0ñ ) B(1/4)| Y-  ñ A Ä (a|1ñb| 0ñ ) B     (8)

 ここで、場所Aにある2量子ビットの4つの状態  |F+ ñ| F- ñ| Y+ ñ| Y- ñ は、2量子ビット間の最大エンタングル状態であり、ベル状態とも呼ばれ式(9)のように定義されます。

   | F+ ñ( |00ñ|11ñ )√2

   | F- ñ( |00ñ|11ñ )2

   | Y+ ñ( |01ñ|10ñ )2

   | Y- ñ( |01ñ|10ñ )2     (9)

 ベル状態は、2量子ビットからなる状態の基底状態でもあります。式(8)は、場所Aにある2量子ビットのベル状態に対して、場所Bにある単量子ビット状態が式(10)のように対応した重ね合わせ状態になっています。

 量子テレポーテーションの手順は次の通りです。

[1] 場所Aにおいて送信者は、送りたい未知状態の量子ビット(入力量子ビット)と量子通信経路の入力ポート量子ビットをベル合同測定します。ベル合同測定とは、2つの量子ビットをベル状態からなる基底 | F+ ñ| F- ñ| Y+ ñ| Y- ñで測定することです。

 元々、入力量子ビットと入力ポート量子ビットエンタングルメントのない積状態にあるため、ベル合同測定では4つの可能性の中からランダムな結果を得るだけで、入力量子ビットの状態の情報を得ることはできません。

 送信者のベル合同測定の結果によって、場所Bにある受信者の出力ポート量子ビットの状態は、対応する状態の一つに変化します。ただし、この段階では受信者は出力ポート量子ビットが4つの状態の内どの状態へ変化したかを知ることはできず、未知量子ビットの量子情報は伝わっていません。

[2] 送信者は{F+F-Y+Y-の内どの測定結果を得たか(古典的な情報)を古典通信路経由で受信者に伝えます。

[3] 受信者
は送られてきた古典情報によって、出力ポート量子ビットがどの状態へ変化したかを知るので、状態 ñ へ戻すために出力ポート量子ビットに復元操作を加えます。この復元操作とは、送信者の測定結果{F+F-Y+Y-に対応して、量子ビットにパウリ演算I,σzx, σz・σx,}を施すことです。

 パウリ演算を行列表示で表すと式(11)のようになります。



 復元演算の結果、受信者の出力ポート量子ビットの状態は、ñB=α| 0 ñ+β| 1ñ変化します。これは、場所Aにいる送信者が送ろうとした入力量子ビットの状態ñA同じ状態です。

 量子テレポーテーションの手順によって、送信者の場所Aからはこの量子状態で表される量子情報は消えて場所Bに同じ状態が再現されたことになり、量子テレポーテーションが達成されたことになります。


[出典]
1.井上:量子と情報、量子情報科学とその展開(別冊・数理科学)、サイエンス社(2003-4)
2.井手他2:量子テレポーテーション、量子情報科学とその展開(別冊・数理科学)、サイエンス社(2003-4)
3.村尾:エンタングルメントを利用した量子情報処理(別冊・数理科学)、サイエンス社(2003-4)

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